シリーズ: 近さがつくる、未来のかたち。
支え合う距離の中で
朝の空気が少し冷たくなってきた。
出勤前に庭の落ち葉を掃いていると、
近所の犬が散歩の途中で顔を出す。
飼い主の女性が「おはようございます」と声をかけてくれる。
それだけで、一日の始まりが柔らかくなる。
会社まで徒歩五分。
通勤時間が短いだけで、
こんなに気持ちに余裕ができるものなのかと驚く。
出社前に母の顔を見て、
湯呑みを片付けてから家を出る。
職場では相変わらず忙しいが、
この町の仕事はどこか“人の顔が見える”。
たとえば、商店街の新しい看板を設置する仕事。
完成後に通りかかった子どもたちが
「これ、前より明るくなったね」と話しているのを聞くと、
その一言が何よりの報酬に思える。
ある日の午後、
取引先の納品帰りに、いつも寄る八百屋の前で足が止まった。
店主の息子が「相模さんのお母さん、元気そうですね」と声をかけてくれた。
母は最近、買い物ついでに店の前で話し込んでいるらしい。
「この前、お惣菜持ってきてくれたんですよ」と笑うその顔に、
あの日病院で見た母の弱々しさはもうなかった。
この町が、母を少しずつ元気にしてくれている気がした。
数日後、別の現場で作業していたときのこと。
通りがかった見知らぬ女性に声をかけられた。
「すみません、隣のお宅に住む方、
最近あまり見かけないんです。
心配で……」
その住所を聞いてみると、
偶然、以前仕事で訪れたお宅の近くだった。
すぐに立ち寄って声をかけると、
中からゆっくり扉が開いて、
おばあさんが「風邪をひいて寝てただけ」と笑った。
その帰り道、胸の奥が温かくなった。
気づけば、自分が“誰かを気づかう側”になっていた。
昔は、ただ効率だけを求めていた仕事が、
いまは人の暮らしを守る一部になっている。
夕方、会社の帰りに空を見上げた。
山の向こうに沈む夕陽が、
ビルの窓ガラスを金色に染めている。
丸の内で見ていた光と、同じ太陽。
けれど、今はその光のあたたかさが違って見える。
家に帰ると、母が夕飯を作っていた。
煮物の香り。
味噌汁の湯気。
その向こうに、日常の幸せがあった。
夜。
動画サイトを開くと、
おすすめに“地方で働く人々の特集”が流れてきた。
画面の中で、誰かが言っていた。
「便利さの先にあるのは、結局、人と人の近さなんですよね。」
その言葉に、自然と頷いた。
もう都会のスピードには戻れない。
でも、それでいいと思えた。
銀色の缶を開ける。
あのキレと辛口が、今日も変わらない。
ただ、味わい方だけが少し違っている。
“支えられる”ことの中に、“支える”自分がいる。
そのことを、
この町でやっと知った。














