シリーズ: 好きな場所で、好きな人と
光の入る場所
週末。
午前中の現場を終え、圭介は中原と陸を連れて“あの物件”へ向かった。
車内には、久しぶりに少しだけ遠足のような空気が漂っていた。
「社長、ほんとにここ駅前ですか? 思ったより栄えてますね」
陸が窓の外を見ながら言った。
小さな商店が並ぶ通りの先には、パン屋やカフェがいくつも見える。
テラス席では、若い夫婦やノートパソコンを開いた人たちがコーヒーを片手に談笑していた。
「なんか……いい感じの街ですね。
高層ビルがなくて、空がちゃんと見える。
しかも、おしゃれな店が多い」
陸が言うと、中原が笑った。
「お前みたいなの、すぐ常連になるだろ」
約束の時間に着くと、すでに高瀬が物件の前で待っていた。
グレーのスーツの裾を軽く払って、「おう、来たな」と笑う。
外観は古いが、角地で大きな窓がふたつ。
昼下がりの光がたっぷりと入り、床に長い影を落としていた。
「ここが例の物件だ」
高瀬が鍵を開けると、木の匂いがふっと広がる。
「思ったより明るいですね」中原が言う。
「窓際にデスクを置いたら、昼間は照明いらないかも」
陸も嬉しそうに壁を叩いた。
「この広さで家賃が半分以下なら最高ですね。
しかも周りにカフェが多いし……昼ごはん困らなそうです」
「そこか?」圭介が笑う。
「大事ですよ! 集中切れたらすぐ気分転換できますし」
高瀬が満足そうに頷いた。
「もともと学習塾だったんだ。構造がしっかりしてて、天井も高い。
リフォームすれば十分オフィスになる」
圭介は静かに窓辺に立ち、外を見た。
八百屋の前では子どもが風船を持って笑っている。
その向こうには、母がよく通っていた商店街の通り。
「……懐かしい景色だな」
小さくつぶやいた声に、中原が言った。
「社長、やっぱり似合ってますよ。
“戻る”っていうより、“ここにいるべき”って感じです」
——
夕方、家に戻ると妻が玄関で出迎えた。
「どうだった?」
「想像よりずっと良かった。
駅前で日当たりもいいし、母さんの家からも歩ける距離だ」
妻はうなずいて、少し微笑んだ。
「それ、もう決まりじゃない?」
「いや、まだ……みんなとも詰めないと」
「詰めるって言いながら、もう決めてる顔してるよ」
圭介は照れ笑いをした。
「やっぱりわかるか」
「十五年も一緒にいるんだもん」
リビングには、子どもの描いた落書きが散らばっていた。
その中の一枚に、小さなビルと家が並んで描かれている。
「これ何?」と聞くと、
子どもが笑って言った。
「お父さんのしごとのおうち!」
胸の奥が温かくなった。
“働く場所”が、家族の風景の中に混ざる。
そんな未来が、少しだけ現実に近づいた気がした。
圭介は夜の静けさの中で、独りつぶやいた。
光が入る場所に、線を引こう。
その言葉が、不思議と自然に口をついて出た。
——
この街には、青山にはない“余白”がある。
急がない人たちのリズム。
会話の間に生まれる沈黙。
そして、陽の傾きで変わる街の色。
設計図の線の外にある、
本当の“暮らし”が見えた気がした。














